避難所

被災地支援活動で避難所を訪ねたのは数え切れないが、それぞれに特徴があったことを思い出している。A避難所自治会長として発災後5ヶ月あまり、数百人の避難者を束ねた町議会議員だったBさんとは今も親交がある。必要な物資を聞いては、鶴岡、酒田、遊佐の支援者に協力をもらい、取りまとめて毎週のように通った。

Aさんが、嫁いだ娘さんを亡くされたことを知ったのは、避難所から仮設住宅に移り住んだあと大分経ってからである。それも自分から口にされたのではなく、人伝えだった。

他にも、感じがよく印象に残っている避難所がある。C町職員さんが男女1名ずつ常駐していた。突然、名刺一枚首から下げて訪ねた、どこの誰ともわからない“チームはちまき”を笑顔で迎えてくれ、居住スペースにいた避難者の了解をもらったうえで、中に招じ入れてくれた。日中のことで、避難所にいたのは高齢者だけだったが、ゆっくり話を聞くことができた。

今回訪ねた避難所には、名刺一枚ではなく、A4用紙に訪問の趣旨や、住所、氏名、電話、資格、そして何ができるかを明記した。避難所の管理を担っていたD町職員に、それを見てもらいながら説明したが「自分たちは、場所を貸しているだけなので・・・。避難者さんのプライバシーには立ち入りません。毎日保健師が来ていますので、自分たちは何もわかりません。食事を運んだり、夕方戻って来なければ連絡したりするのが仕事です」とのこと。

場所を貸しているだけの避難所!?耳を疑ったが、相手は何度も繰り返した。

それならと、靴下とパンツを持って来たので必要か聞いて欲しいと頼み、居住スペースに近いところで待たせてもらった。

職員に声をかけられ、顔を出してくれた3人の女性にお渡しし、そのなかの2人と、自宅の片づけから戻って来た男性に話を聴くことができた。

※詳細は続く。